「うまさの哲学」ありますか?
糸井重里さんの対談集『経験を盗め 文化を楽しむ編』を読みました。この対談がどれも面白い。複数記事に分けて、考えたことを書こうかと思います。
第1回は「B級グルメ」という言葉を提唱していらっしゃったエッセイストの里見真三さん、同じくエッセイストの山口文憲さんと糸井さんが食について話している回について。
冒頭にこうあります。
糸井:好きな食べ物を自分で判別できるか、これは僕の積年の課題でした。
自分なりの結論を出しまして、「いつまでも口の中で噛んでいられるもの」が好きだと決めたんです。
なるほど、いつまでも口の中で噛んでいられるもの。どうなのでしょう。僕はまだ好きな食べ物がなんなのかあまり判別できないでいるような気がしています。「好きな食べ物はなに?」と聞かれたら一応、「親子丼」と答ますけど。
嫌いな食べ物もありません。嫌いな食べ物がないというのは、好きな食べ物もわかっていないのではないかと思っています。
なぜ苦くて飲めないコーヒーが好きになるのか
どこかでコーヒーが好きになる理由について聞きました。生き物にとって基本的に苦味というのは毒らしいのです。だからはじめてコーヒーを口にしたときも「飲んではならないもの」として認識されるため、まずく感じる。
けれども、コーヒーとともにした体験がコーヒーにつきまとって、だんだんコーヒーが好きになる。たとえばこのように。
中学生のときに初恋の相手と何度も喫茶店でデートをした。いつも手にあるのはコーヒー。おいしいとは思っていないけど、少し大人なところをみせたくて。彼女とは高校になってから離れ離れになってしまったけれど、あの時間は大切な思い出。
こういった思い出が積もり積もって好きな食べ物(コーヒーは飲み物じゃん)ができていくと僕はなんとなく思っていたのだけれど、どうなのでしょう。
おいしいってなんだ
今度は好きな食べ物ではなく、おいしい食べ物についてです。似てるようでちがう。「おいしい」というのも難しくないですか。
みなさん、外食をするときはたいてい事前に調べますよね。僕も食事の場所はあらかじめ調べるのが習慣になっています。どこにある店か、どんな内装なのか、どんな料理がどんな風においしいのか。知った上で想像して、自分が求めているものに近ければ実際に足を運ぶ。
このあらかじめ持っているイメージが、うまさに関わっているのです。
自分がなんとなく求めている味と、実際に口にしている味のギャップが少ない、あるいは越えているほどおいしくて、ギャップが大きいほどまずいのです。(断定)
この仮説についてはグルメマンガと絡めて追求していこうと思います。
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