いろどりぷらす

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ふつうの生活に彩りをプラス!おもしろいコンテンツを紹介したり、考えたことを書きます。

人はささいなことで決断する

僕は子どもの頃から1人でいることにほとんど苦痛を感じたことがなかった。嫌なことはけっこうすぐに忘れてしまうから、もしかしたらただ忘れてしまっただけかもしれない。1人でいるときは本やマンガを読んだり、アニメを見たり、こうしてちょっとした文章を書くこともある。

 

一日中そういうことをしているとだんだんムズムズしてきて、ちょっくら外に出ようかという気分になってくる。行き先はその時々でころころ変わるが、大まかに分けて2つのパターン。1つは自宅近くをほんとにちょっくら周るか、あるいはあまり馴染みのない街に繰り出すか。

 

どちらも楽しいことに間違いはないのだけれど、いわゆる「楽しい」ということに関していうとやはり新しい発見の多い、馴染みのない街を出歩くほうのことを言うのだろう。

 

僕のように散歩が好きな人は世の中の大多数ではないけれど一定の規模を占めているようだ。なにせ歩くだけならタダだし、足さえあれば誰だってできる。なんてリーズナブルな趣味だろう。毎年のように値上げするディズニーランドでしか楽しめない女の子たちに教えてあげたい。まあ無視されるでしょうけどね。散歩好きがささやかに存在する証明に、散歩を扱ったマンガがいろいろいある。

 

たとえば、いがらしみきおさんの『今日を歩く』 。これは僕の2つのパターンでいうと1つめの自宅近くを歩きまわる方で、彼は毎日決まったコースを歩くのを20年間も続けているという。これぞ「プロ サンパー」だ。(どなたか、散歩をする人の呼び方を教えてください。) 毎日毎日同じコースを歩いていると、その土地の小さな変化に気づけるし、いつも会う人なんかも出てくる。

 

作中にはちょっと不気味な「テクルさん」(作者命名)という年齢不詳の女性が登場する。いつも長靴にしか見えないような靴を履き、テクテク歩いているからテクルさん。なるほど。幼児が車をブーブーと呼ぶ原則と同じだ。このような作者の主観的な散歩中の観察結果を扱っているので、『ワンピース』のように毎週のように派手なバトルは起きないし、『ニセコイ』のように毎週女子が主人公に対してときめくシーンもない。ただおじさんが歩いているだけなのでそういう派手な展開は期待しないほうがいい。

 

おじさんが歩くマンガというと『孤独のグルメ』で一躍有名になった久住昌之さん、谷口ジローさんのコンビで描いた『散歩もの』 というのもある。以前このブログでも紹介したのだが、これまたいい感じに地味なんです。一応フィクションとして主人公が品川など実在する街を歩いて、目についたあらゆるものにいちいち郷愁を感じているものだから、読んでいるこっちまでなんだか懐かしいような気がしてくる。全然行ったこともない街なのに不思議なものだ。

 

物語を使って街を宣伝するというのは良い手法だなあと感じたマンガがある。マキヒロチさんの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』 という作品だ。(なんだか高知に住む誰かと似たタイトルの煽り臭がするのは気のせいだろうか。)

 

『今日を歩く』『散歩もの』 はあくまで散歩がテーマなので街を歩いた主観的な印象が語られているが、『吉祥寺〜』 は散歩ではなく不動産屋の話だから主人公の感想を追体験して楽しむものではなく、あたかも物件を探しているときのようにその街の概要、みんなが知らない裏情報なんかを知って得した気分になれる。

 

たとえば雑司が谷には地域密着型の古書店があって、「雑司ヶ谷霊園に眠る人々コーナー」なるものがあるらしい。雑司ヶ谷霊園にお墓のある夏目漱石永井荷風小泉八雲の関連書籍を揃っている。小説好きにはたまらないスポットだ。

 

一見不気味で、だらしない、太った2人の不動産屋が、親身になってこうした穴場情報を客に合わせて紹介してくれるのだから紹介している街に好感を持たないわけがない。やはりギャップの持つ力は偉大である。

 

引っ越したいと思っていなくても、東京の街について新しい発見がこうして得られればちょっと足を運んでみたくなる。もしかしたらこのマンガを読んで好きな街を見つけて「思わず引っ越しちゃいましたー」なんて人が出てくるのではと予想しています。案外人はささいな情報をもとに大きな決断をするものですから。