いろどりぷらす

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ふつうの生活に彩りをプラス!おもしろいコンテンツを紹介したり、考えたことを書きます。

近眼をバカにしてごめんなさい

僕は控えめに言っても重度の近眼だ。なにせ小さな頃から、これをやったら目が悪くなると言われていることをかたっぱしからやってきた。

 

小学校の低学年で「ゲームボーイポケット」を親に買ってもらった。それまでは折り紙や泥だんごを作ることしか楽しみがなかったところに突然ポケモンが出てきたんだからハマらないわけがない。「ゲームは1日30分」という親との取り決めをまったく守らず机の下、押入れの中、ふとんの中、と小さな体が収まる場所を見つけては、隠れてポケモンの育成に精を出してきた。

 

「ニンテンドースイッチ」をはじめとするこの頃のゲーム機とは異なり、「ゲームボーイポケット」の画面にはバックライトがなかった。だから当然、暗い部屋では画面が暗くなる。暗い画面を凝視していたのだから目の機能に異常が出てもおかしくない。

 

ゲームだけではなく本もよく読んでいた。「本を読むことは正義である」という信条を両親が掲げていたので、幸か不幸かほしいとねだった本はたいてい買ってもらえた。特に中学生の頃に友人から勧められた村上春樹や吉本ばななといった近年の作家の小説をよく読んだ。細かい文字を、ゲームをプレイする要領でじっと見つめるように読んでいたのだからこれもまた目に悪そうだ。

 

と、こんな風に目を悪くする活動に勤しんでいたおかげで、いまでは立派な近眼のできあがり。3分クッキングほどの手軽さはなくとも、まったく苦労せずに苦労するような状況に陥ることができた。

 

目が悪くなったことのない人にはわからないかもしれないが、遠くが見えないというのは本当に不便である。高校の校舎で好きな女の子が廊下の向こうから歩いてきても、8mぐらいまで近づかなければその子である確証は持てない。逆に好意を寄せている女の子が歩いてきた、とドキドキしていたらまったく別の女の子だなんてこともざらにある。

 

僕は幸いにも金銭を失うなどの損はしていないものの、近眼によってお金を失うこともあるんじゃないか。それほどのハンデを背負っているのだから、近眼はあるラインを越えるともはや障がいに近い。片足を失った人は車いすがなければ活動がひどく制限されるのと同じように、極度の近眼の人はメガネやコンタクトを失うと、ほとんど行動ができない。レンズを通さなければ魅力的な女の子の姿を見ることさえかなわない人生なんて、皮だけの餃子を食べているように虚しいものだ。しかしこのツラさは自分で体験しないとわからない。

 

僕が通っていた中学校にはとても目の悪い国語の先生がいた。メガネなしでは遠くがほとんど見えないようで、教卓に置いてある出席簿を読み上げるために顔との距離を15cmほどまで近づけていた。当時はそんな様子を少し奇妙なものとして見ていたので友だちとからかうこともあった。だが本当に困った状況に置かれることもあっただろう。自分の若さゆえの無知にあきれる。

 

メガネが手放せなくなってから優秀なロボットがほしくなった。自分の代わりにまわりを見てくれて目的地へ先導してくれる。スピードを出した車がビュンビュン走る道路ではきちんと安全を確保してくれる。そんな便利な存在がいてくれたら、見えないものを見えるようにと体を矯正することなく自然に生きられるのになんてことを思う。

 

とはいえ近眼を強くするような活動はもはや抜けられない蟻地獄のように習慣となっている。先週末に購入した「ニンテンドースイッチ」と「ゼルダの伝説」のおかげで毎日が寝不足だ。なんておもしろいゲームを開発してくれたんだ、と嘆いても仕方がない。近眼のみなさまに幸あれ。