いろどりぷらす

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ふつうの生活に彩りをプラス!おもしろいコンテンツを紹介したり、考えたことを書きます。

『カルト村で生まれました』の「普通」に思わずあの言葉を叫びたくなる

とても興味深いマンガを読みました。

 

『カルト村で生まれました』高田かや

 

ほのぼのした絵のタッチと、「カルト村」というワードのミスマッチ感。これだけで僕は惹かれて買ってしまいました。この作品はタイトルの通り一般人からすると「カルト村だ」とされるような閉鎖的な村で19歳まで暮らしていた女性が自身の体験を綴ったマンガです。

 

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思わずツッコみたくなる「普通」の数々

作中で紹介される独特のルールは村の外の人からすると「異常」とも言えるようなものばかり。たとえばこんなシーン。

 

村の理想とする社会は所有のない社会。だからすべての物は基本的に共有しているという。いま流行りの「シェアリングエコノミー」を徹底しているわけですね。

 

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また、村では1日2食しか食べられないという。

 

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だからお腹が好きすぎて甘い薬をおやつとして食べていた、なんてことも。

 

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いまの時代こんなことやっているのか、と衝撃を受けたのが手紙の検閲。ここで暮らしている人にとっては普通かもしれないけれど、戦時中か、とツッコみたくなります。

 

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これらの様子を眺めていると、自分にとっての普通があくまで所属する社会の「普通」であって、全世界共通の普遍的なルールではないということに初めて気づく。異文化に触れないとこんな気づきは得られない。こうした自分の根底となる部分がぐらぐら揺れる体験は恐怖を呼び起こすこともあれば、視野が広がる開拓者のような楽しさもある。

 

「明日からカルト村で生活しろ」と命じられて20を越えた成人が急に訪れたら、きっとそれまでの「普通」と差によるとてつもない違和感で死んでしまうかもしれない。しかしあくまで作品として「こういう場所もあるんだよ」と紹介される分には単に好奇の対象となるだけ。

 

「普通」はコンテンツになりやすい

自分にとっての「普通」が他の人にとっては「普通」ではない、というように新しいアイデアを考えなくてもおもしろいのだから「普通」はコンテンツになりやすく、たくさん世の中に出回っている。

 

この種のコンテンツは、異なる「普通」を紹介するパターンと異なる「普通」からの視点で消費者の「普通」を見るパターンがある。『カルト村で生まれました』は前者で、後者はたとえば最近だと「厚切りジェイソン」のネタなんてわかりやすい例になる。

 

ジェイソン:
「最後のから揚げ」というネタだと、
「今日は飲み会、うれしいね!
最後のから揚げ、食べれるよ!」
「Why!?」
「外国人だから!」

糸井:
最後のから揚げ(笑)。
1個残った場合のね。

ジェイソン:
「食べればいいのに。
みんな、食べたいと
思っているのに、手が出ない。
Why!? おかしいよ!」

(いまの時代のナポレオン。 - ほぼ日刊イトイ新聞)

 

日本人を外からみると、こうした行動は思わず「Why !?」と言いたくなる。というか日本人も違和感を感じているだろうけどね。

 

『カルト村で生まれました』の読者はあくまで村の「普通」を外から見る側。1日2食しか食べられない、「むかつく」と言った子どもの髪の毛を掴んで壁に打ち付ける、なんて話を聞いて思わず声高に叫びたくなる。

 

「Why カルト ピーポー !?」

 

宙ぶらりんの日々(あとがきのようなもの)

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朝起きた瞬間に「遅刻だ!」と飛び起きてからの実は休日だった安心感に勝る安心感に出会うことはなかなかありません。