いろどりぷらす

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ふつうの生活に彩りをプラス!おもしろいコンテンツを紹介したり、考えたことを書きます。

期間限定で、鬱マンガ『ミスミソウ』が安すぎて笑った


『ピコピコ少年』 などで知られる、押切蓮介さんの『ミスミソウ』 というマンガをご存知ですか?

 

僕は笑えるマンガよりも、読後感が最悪で気分が悪くなるようなマンガを好んで読むのですが、この『ミスミソウ』 も文句なしの読後感の悪さでおすすめです。

 

このマンガを紹介しようと思いAmazonのページを見たら、「は?」と声が出てしまいました。

 

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なにコレ!?

 

全巻買って217円なんですけど。ブックオフより安い。この謎のセールを機会に、未読の方はぜひ読んでみてください。セール期間は不明なので、お早めにどうぞ。

 

あらすじ

廃校が決まっている田舎の中学校に転校した春花。最後の卒業生となるクラスで春花を待っていたのは、鬱屈した環境の中、静かに狂い始めたクラスメイトによる凄惨なイジメだった―。

 

アニメなんかだと、こうしてヒロインがいじめられても主人公が助け出してハッピーエンド、良かったね。となりますが、この作品はそう甘くはありません。痛い、ひたすら痛いんです。

 

グロテスクな描写を扱う作品は数あれど、読んでいてこんなにも痛いマンガは初めてです。『東京グール』も爪を剥がしたり、身体を傷つけるシーンがあります。でもそのほとんどは傷つく瞬間を描いておらず、爪が剥がれたあと、腕が切れたあとを描いています。

 

でもね、『ミスミソウ』は違います。

 

ナイフで身体を切るとき、皮膚がちぎれていくんですよ。

 

この描写が本当に、痛い。ギャグマンガやジャンプのような青春マンガしか読まないような人にとっては衝撃的な作品です。

 

きっと読んだ後に後悔しますが、こういう作品もたまにはいいですよ... 

『紺田照の合法レシピ』はヤクザ×グルメのギャップが笑える

これもう読みました?

 

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*1

 

合法グルメマンガ『紺田照の合法レシピ』

少年マガジンRで連載されているマンガ『紺田照の合法レシピ』の発想にやられました。いかにもヤクザもののマンガのように見せかけながら、実際には自炊する様子しか描かれていないというギャップが笑えます。

 

たとえばこんなシーン。

 

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あたかもヤバイことをしているように見えますが、決して法に触れてはいません。明太子の皮を食べながら大葉を調理しているだけです。安心して下さい、合法ですよ。

 

というか大葉のことを「合法ハーブ」と呼ぶということは違法ハーブと区別する必要があるということで、つまり普段は...おっと。

 

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「ずっと吸引していたい...」

 

いかにも幻覚を見ていそうな顔ですが、米の匂いを嗅いで悦に浸っているだけです。


本作がWeb発だからか他のコンテンツとの連携もしていて、クックパッドに作中のレシピが掲載されています。なので「この料理ヤバイ、キメたいぃぃぃ!!」という気分になったらレシピを参考に今晩のおかずができるわけです。最高ですね。

紺田照の合法レシピのキッチン [クックパッド] 

 

現在3話までニコニコ静画で読めるようになっているので、覗いてみてはいかがでしょう。

紺田照の合法レシピ / 馬田イスケ - ニコニコ静画 (マンガ)

 

もっと読みたい人はこちら

『バーナード嬢曰く。』に読書好きの痛いトコ突かれたが心地いい

いやー、愉快。

 

「読書好き」を笑って打ちのめす、読書をテーマにしたギャグマンガバーナード嬢曰く。』がとてもおもしろかった。施川ユウキさんの作品はあまり読んだことがなく、唯一読んだのは『オンノジ』。NAVERまとめでどこの馬の骨が言っているのかわからないおすすめを信じて購入してみたものの、僕には合わなかった。決して質的に劣っているという話ではなく、NAVERまとめでおすすめしていた人は熱心にすすめていたので、あくまで相性が悪かったということなのだと思う。

 

バーナード嬢曰く。』の何が面白いのかというと、本を読むのが好きな人たちの「あるある」を描いているところ。読書をしている人はカッコいいと思って本を手にするも読んだふりだけするヒロイン(この言い方が正しいかわからない)、ヒロインが図書館にいるからというだけで図書室を訪れるストーカーのような男の子、ストーカーのような男の子を図書委員という名目で観察しているストーカーのストーカー…。こんなヘンな人たちが「読書家」たちの間でよく起きる出来事を扱っているので、本好きには皮肉を言われているような気になりつつも、あっはっはと笑ってしまうようなシーンに溢れている。

 

たとえば冒頭。

 

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図書室の端っこで 彼女はいつも 1人で本を読んでいる。
一見かなりの読書家に見えるが 僕は知っている。

 

彼女が本を読むのは誰かが見ているときだけだ。

  

いやー痛いとこ突かれましたわ。今となっては人に見られているかどうかなんて全く気にしなくなったものの、中学生、高校生ぐらいのときは意識していたと思う。いわゆる名門校に通っていたわけではないので周りにちゃんと本を読んでいる人はいなくて、そんな中で「みんなと違うことしてる自分カッケー」と内心思っていた。ほんと恥ずかしい。反省してます。

 

いまではこの「本読んでる自分カッケー」現象はむしろ逆転してしまった。『バーナード嬢曰く。』にも引用されているショウペンハウエルの言葉がしっくり来ているので引用する。

 

読書は他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない

ショウペンハウエル『読書について』

 

読書というのは他人の思考をなぞることで、自分で考えようと意識していないと考えた気になって終わってしまう。このことは身を持って実感している。家の本棚に詰まっている読破した名著の数々がいまの自分にどれだけ血肉になっているだろうか。正直言ってわからない。

 

バーナード嬢曰く。』で描いていることは極端ではあっても、自分の読書に対する姿勢を見直すいいキッカケになるかもしれない。

 

名著を買って本棚に並べたとき、この表紙に似たこと思いませんでした?

 

『バーナード嬢曰く。』 施川ユウキ

 

『カルト村で生まれました』の「普通」に思わずあの言葉を叫びたくなる

とても興味深いマンガを読みました。

 

『カルト村で生まれました』高田かや

 

ほのぼのした絵のタッチと、「カルト村」というワードのミスマッチ感。これだけで僕は惹かれて買ってしまいました。この作品はタイトルの通り一般人からすると「カルト村だ」とされるような閉鎖的な村で19歳まで暮らしていた女性が自身の体験を綴ったマンガです。

 

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思わずツッコみたくなる「普通」の数々

作中で紹介される独特のルールは村の外の人からすると「異常」とも言えるようなものばかり。たとえばこんなシーン。

 

村の理想とする社会は所有のない社会。だからすべての物は基本的に共有しているという。いま流行りの「シェアリングエコノミー」を徹底しているわけですね。

 

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また、村では1日2食しか食べられないという。

 

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だからお腹が好きすぎて甘い薬をおやつとして食べていた、なんてことも。

 

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いまの時代こんなことやっているのか、と衝撃を受けたのが手紙の検閲。ここで暮らしている人にとっては普通かもしれないけれど、戦時中か、とツッコみたくなります。

 

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これらの様子を眺めていると、自分にとっての普通があくまで所属する社会の「普通」であって、全世界共通の普遍的なルールではないということに初めて気づく。異文化に触れないとこんな気づきは得られない。こうした自分の根底となる部分がぐらぐら揺れる体験は恐怖を呼び起こすこともあれば、視野が広がる開拓者のような楽しさもある。

 

「明日からカルト村で生活しろ」と命じられて20を越えた成人が急に訪れたら、きっとそれまでの「普通」と差によるとてつもない違和感で死んでしまうかもしれない。しかしあくまで作品として「こういう場所もあるんだよ」と紹介される分には単に好奇の対象となるだけ。

 

「普通」はコンテンツになりやすい

自分にとっての「普通」が他の人にとっては「普通」ではない、というように新しいアイデアを考えなくてもおもしろいのだから「普通」はコンテンツになりやすく、たくさん世の中に出回っている。

 

この種のコンテンツは、異なる「普通」を紹介するパターンと異なる「普通」からの視点で消費者の「普通」を見るパターンがある。『カルト村で生まれました』は前者で、後者はたとえば最近だと「厚切りジェイソン」のネタなんてわかりやすい例になる。

 

ジェイソン:
「最後のから揚げ」というネタだと、
「今日は飲み会、うれしいね!
最後のから揚げ、食べれるよ!」
「Why!?」
「外国人だから!」

糸井:
最後のから揚げ(笑)。
1個残った場合のね。

ジェイソン:
「食べればいいのに。
みんな、食べたいと
思っているのに、手が出ない。
Why!? おかしいよ!」

(いまの時代のナポレオン。 - ほぼ日刊イトイ新聞)

 

日本人を外からみると、こうした行動は思わず「Why !?」と言いたくなる。というか日本人も違和感を感じているだろうけどね。

 

『カルト村で生まれました』の読者はあくまで村の「普通」を外から見る側。1日2食しか食べられない、「むかつく」と言った子どもの髪の毛を掴んで壁に打ち付ける、なんて話を聞いて思わず声高に叫びたくなる。

 

「Why カルト ピーポー !?」

 

宙ぶらりんの日々(あとがきのようなもの)

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朝起きた瞬間に「遅刻だ!」と飛び起きてからの実は休日だった安心感に勝る安心感に出会うことはなかなかありません。

 

人はささいなことで決断する

僕は子どもの頃から1人でいることにほとんど苦痛を感じたことがなかった。嫌なことはけっこうすぐに忘れてしまうから、もしかしたらただ忘れてしまっただけかもしれない。1人でいるときは本やマンガを読んだり、アニメを見たり、こうしてちょっとした文章を書くこともある。

 

一日中そういうことをしているとだんだんムズムズしてきて、ちょっくら外に出ようかという気分になってくる。行き先はその時々でころころ変わるが、大まかに分けて2つのパターン。1つは自宅近くをほんとにちょっくら周るか、あるいはあまり馴染みのない街に繰り出すか。

 

どちらも楽しいことに間違いはないのだけれど、いわゆる「楽しい」ということに関していうとやはり新しい発見の多い、馴染みのない街を出歩くほうのことを言うのだろう。

 

僕のように散歩が好きな人は世の中の大多数ではないけれど一定の規模を占めているようだ。なにせ歩くだけならタダだし、足さえあれば誰だってできる。なんてリーズナブルな趣味だろう。毎年のように値上げするディズニーランドでしか楽しめない女の子たちに教えてあげたい。まあ無視されるでしょうけどね。散歩好きがささやかに存在する証明に、散歩を扱ったマンガがいろいろいある。

 

たとえば、いがらしみきおさんの『今日を歩く』 。これは僕の2つのパターンでいうと1つめの自宅近くを歩きまわる方で、彼は毎日決まったコースを歩くのを20年間も続けているという。これぞ「プロ サンパー」だ。(どなたか、散歩をする人の呼び方を教えてください。) 毎日毎日同じコースを歩いていると、その土地の小さな変化に気づけるし、いつも会う人なんかも出てくる。

 

作中にはちょっと不気味な「テクルさん」(作者命名)という年齢不詳の女性が登場する。いつも長靴にしか見えないような靴を履き、テクテク歩いているからテクルさん。なるほど。幼児が車をブーブーと呼ぶ原則と同じだ。このような作者の主観的な散歩中の観察結果を扱っているので、『ワンピース』のように毎週のように派手なバトルは起きないし、『ニセコイ』のように毎週女子が主人公に対してときめくシーンもない。ただおじさんが歩いているだけなのでそういう派手な展開は期待しないほうがいい。

 

おじさんが歩くマンガというと『孤独のグルメ』で一躍有名になった久住昌之さん、谷口ジローさんのコンビで描いた『散歩もの』 というのもある。以前このブログでも紹介したのだが、これまたいい感じに地味なんです。一応フィクションとして主人公が品川など実在する街を歩いて、目についたあらゆるものにいちいち郷愁を感じているものだから、読んでいるこっちまでなんだか懐かしいような気がしてくる。全然行ったこともない街なのに不思議なものだ。

 

物語を使って街を宣伝するというのは良い手法だなあと感じたマンガがある。マキヒロチさんの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』 という作品だ。(なんだか高知に住む誰かと似たタイトルの煽り臭がするのは気のせいだろうか。)

 

『今日を歩く』『散歩もの』 はあくまで散歩がテーマなので街を歩いた主観的な印象が語られているが、『吉祥寺〜』 は散歩ではなく不動産屋の話だから主人公の感想を追体験して楽しむものではなく、あたかも物件を探しているときのようにその街の概要、みんなが知らない裏情報なんかを知って得した気分になれる。

 

たとえば雑司が谷には地域密着型の古書店があって、「雑司ヶ谷霊園に眠る人々コーナー」なるものがあるらしい。雑司ヶ谷霊園にお墓のある夏目漱石永井荷風小泉八雲の関連書籍を揃っている。小説好きにはたまらないスポットだ。

 

一見不気味で、だらしない、太った2人の不動産屋が、親身になってこうした穴場情報を客に合わせて紹介してくれるのだから紹介している街に好感を持たないわけがない。やはりギャップの持つ力は偉大である。

 

引っ越したいと思っていなくても、東京の街について新しい発見がこうして得られればちょっと足を運んでみたくなる。もしかしたらこのマンガを読んで好きな街を見つけて「思わず引っ越しちゃいましたー」なんて人が出てくるのではと予想しています。案外人はささいな情報をもとに大きな決断をするものですから。

 

もはやホラー?世界感がクセになる猫エッセイマンガ『伊藤潤二のよん&むー』― 伊藤潤二

 

こんな猫マンガ読んだことない。

 

ホラーで有名な伊藤潤二の猫エッセイマンガ 

伊藤潤二さんというと、ホラーマンガが有名です。『うずまき』 とか。今回ご紹介するマンガはというと、作者の結婚を機に妻が飼っていた猫と新しい猫を新居で飼い始めるという、いかにもほのぼのしたストーリーになっています。

 

これだけの説明だと、どっかで読んだものと似ている気がします。たとえば、以前ご紹介した猫マンガとして『ワカコ酒』 の作者・新久千映さんの『新久千映のねこびたし』 があります。こちらは猫を溺愛する作者が拾った猫を飼い始めて、ひたすら愛でるという内容です。

 

ただねこのいる生活がおもしろい。ねこ好き歓喜のねこエッセイマンガー『ねこびたし』新久千映

 

猫はただいるだけでおもしろいコンテンツに 

猫をはじめとするペットは、人間が思いつかないようなことを突然するので、その行動をちゃんと描くだけでもおもしろいコンテンツになってしまうんですよね。だから世の中には動物を描いたコンテンツはたくさんあります。

 

猫エッセイマンガはありきたりとも言えるような内容なのに、なぜ本作が他にはない魅力があるのか。その理由は、作者の絵にあります。伊藤潤二さんの絵が醸し出す世界観が、この作品を普通ならざるものに変えているんです。

 

たとえば冒頭のシーン。

 

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これですよ。

 

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これ。

 

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言ってることは合コンに出現するゆるふわ女子と同じなのに、顔怖すぎ。

 

夜に出会ったらションベンちびるレベル。なぜかこのマンガでは作者の妻はほぼすべて白目を剥いています。(妻公認らしい) 全体的に明らかにホラーテイストなんですよ。

 

展開としても稲川淳二の「あれ、なーんか変だなー。怖いな〜怖いな〜」的なくだりがありますが、その後にはこの溺愛っぷり。

 

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この絵のタッチだと、手足をもいでほんとに食べそう...。猫好きすぎでしょ。作品の冒頭では犬派って言ってたのに。


絵のテイストと内容にギャップがあっておもしろい、おすすめのマンガです。伊藤さんのように猫好きではない人も、このマンガで猫が好きになってしまうかもしれません。

 

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