「Evernote」より「Day One 2」を勧める理由
最近の若者は物欲がなくて、消費志向が弱い、なんてことを聞く。確かに僕も高い時計なんて全く欲しくないし、車もいらない、洋服は好きだからちょっと欲しいというぐらい。たぶん「バブル世代」の人たちからしたら、けしからんと卑下される対象なんだと思う。でもしょうがないじゃない、人間だもの。「こうあるべき」なんて言われても全部受け入れられません、僕は。
時計や車を欲しがらない代わりに、求めるようになったことがある。それは「デザイン」だ。デザインには「意匠デザイン(見た目)」と「機能デザイン」があるなんていう少し専門的な話もあるけれど、そんなに深く考えなくていい。キレイだと思うモノをより強く求めるようになった。それはMacかもしれないし、文房具かもしれないし、あるいは実態のないソフトかもしれない。
どんなものでも便利な機能はたくさんあったほうがいいように思えるけど、実は必ずしもそうではない。日本の製品は分厚い説明書が必要な機能過多の製品を作って失敗してきたというのがアプリやソフトの世界にも言える。用途が決まっている場合は逆に機能が制限されているぐらいの方が構造がシンプルになって心地よいのだ。
僕は高校生くらいから自分が考えたことや、ふと思い浮かんだアイデアを記録する方法を探ってきた。あるときはシステム手帳。またあるときは「Evernote」と「Postever」という投稿専門のアプリを併用していた。使っているデバイスにも依存するけれど、いまは一旦「ほぼ日手帳」と「DayOne2」というアプリに落ち着いた。
ガジェット通の方々には「Evernoteのほうがいろいろ便利じゃん!」と言われてしまうかもしれないが、「Evernote」は僕にとって機能過多だ。確かにあらゆる情報を毎日毎日記録して、構造的に整理しなければならないという需要がある場合は「Evernote」が優れている。
でも、毎日考えたことをメモしたり、撮った写真を記録してたまに見返すぐらいだったら圧倒的に「DayOne 2」をおすすめする。
「Day One 2」を勧める理由1 : 見た目がキレイ
理由は2つある。まず1つは見た目がとてもキレイだということ。毎日触れるアプリの見た目がダサいとそれだけで何かを書く気が失せる。見た目が整っていないアプリはたいてい使う人の行動に沿った構造になっていないことが多いから使いづらさも伴う。「Evernote」もアップデートしてだいぶキレイな見た目にはなったけれど、搭載されている機能がいくぶん多いため、ごちゃごちゃしてしまっている。
「Day One 2」を勧める理由1 : 使いやすく機能が整理されている
2つめも見た目に関係するが、機能の構造の話だ。「Day One」から「Day One 2」にバージョンアップして、画面の下部にメニューが常時表示されるようになった。これが特に良い。使ったことのない人にとっては大した差ではないと感じるかもしれないけれど、どの画面にいてもすぐにメモを投稿できるし、逆にどの画面にいてもすぐに閲覧画面に移れるようになったのはとても大きい。
投稿した画像だけを並べて見られる機能は「Day One」時代からあったが、下部にメニューとして常時表示されるようになったことで価値がとても上がったと思う。イメージとしては自分だけのInstagram。公開したいわけではないけれど何かしら保存しておきたい画像をここにためておけば、にやにやしながら好きな世界に浸れる。
たとえばこんな感じ。
人に見られたくない写真もこの通り。
ひゅー、たまらないぜ!
自分が「いい!」と思った写真や画像をためておき、すぐに見れる。いいね。まだ僕は活用できてないけれど、マップビュー(右から2つめ)というものもあって投稿した場所、あるいは画像の位置情報を元に投稿が地図上にマッピングされるという機能もある。旅行に行った時にどこで何を書いたのか振り返りやすいですね。
アプリにお金を払う習慣がない人にとっては高いだろうけど、どこでも無限に使えるノートないし手帳を買ったと思えばそう高くない。3月の時点で(購入したのは2月)「今年イチバンの買い物」と言ってしまうのはせっかちな気がするけれど、少なくともベスト3には入る。
もちろんこういうのは好みが大きく分かれますが、「Evernote」に不満がある人は試してみることをおすすめします。
宙ぶらりんの日々(あとがきのようなもの)
風邪だかインフルエンザでしばらくマスクを着けていると、治ったときに不思議な気持ちになる。あれ、口って人に見せていいんだっけ、って。
人はささいなことで決断する
僕は子どもの頃から1人でいることにほとんど苦痛を感じたことがなかった。嫌なことはけっこうすぐに忘れてしまうから、もしかしたらただ忘れてしまっただけかもしれない。1人でいるときは本やマンガを読んだり、アニメを見たり、こうしてちょっとした文章を書くこともある。
一日中そういうことをしているとだんだんムズムズしてきて、ちょっくら外に出ようかという気分になってくる。行き先はその時々でころころ変わるが、大まかに分けて2つのパターン。1つは自宅近くをほんとにちょっくら周るか、あるいはあまり馴染みのない街に繰り出すか。
どちらも楽しいことに間違いはないのだけれど、いわゆる「楽しい」ということに関していうとやはり新しい発見の多い、馴染みのない街を出歩くほうのことを言うのだろう。
僕のように散歩が好きな人は世の中の大多数ではないけれど一定の規模を占めているようだ。なにせ歩くだけならタダだし、足さえあれば誰だってできる。なんてリーズナブルな趣味だろう。毎年のように値上げするディズニーランドでしか楽しめない女の子たちに教えてあげたい。まあ無視されるでしょうけどね。散歩好きがささやかに存在する証明に、散歩を扱ったマンガがいろいろいある。
たとえば、いがらしみきおさんの『今日を歩く』 。これは僕の2つのパターンでいうと1つめの自宅近くを歩きまわる方で、彼は毎日決まったコースを歩くのを20年間も続けているという。これぞ「プロ サンパー」だ。(どなたか、散歩をする人の呼び方を教えてください。) 毎日毎日同じコースを歩いていると、その土地の小さな変化に気づけるし、いつも会う人なんかも出てくる。
作中にはちょっと不気味な「テクルさん」(作者命名)という年齢不詳の女性が登場する。いつも長靴にしか見えないような靴を履き、テクテク歩いているからテクルさん。なるほど。幼児が車をブーブーと呼ぶ原則と同じだ。このような作者の主観的な散歩中の観察結果を扱っているので、『ワンピース』のように毎週のように派手なバトルは起きないし、『ニセコイ』のように毎週女子が主人公に対してときめくシーンもない。ただおじさんが歩いているだけなのでそういう派手な展開は期待しないほうがいい。
おじさんが歩くマンガというと『孤独のグルメ』で一躍有名になった久住昌之さん、谷口ジローさんのコンビで描いた『散歩もの』 というのもある。以前このブログでも紹介したのだが、これまたいい感じに地味なんです。一応フィクションとして主人公が品川など実在する街を歩いて、目についたあらゆるものにいちいち郷愁を感じているものだから、読んでいるこっちまでなんだか懐かしいような気がしてくる。全然行ったこともない街なのに不思議なものだ。
物語を使って街を宣伝するというのは良い手法だなあと感じたマンガがある。マキヒロチさんの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』 という作品だ。(なんだか高知に住む誰かと似たタイトルの煽り臭がするのは気のせいだろうか。)
『今日を歩く』 や『散歩もの』 はあくまで散歩がテーマなので街を歩いた主観的な印象が語られているが、『吉祥寺〜』 は散歩ではなく不動産屋の話だから主人公の感想を追体験して楽しむものではなく、あたかも物件を探しているときのようにその街の概要、みんなが知らない裏情報なんかを知って得した気分になれる。
たとえば雑司が谷には地域密着型の古書店があって、「雑司ヶ谷霊園に眠る人々コーナー」なるものがあるらしい。雑司ヶ谷霊園にお墓のある夏目漱石、永井荷風、小泉八雲の関連書籍を揃っている。小説好きにはたまらないスポットだ。
一見不気味で、だらしない、太った2人の不動産屋が、親身になってこうした穴場情報を客に合わせて紹介してくれるのだから紹介している街に好感を持たないわけがない。やはりギャップの持つ力は偉大である。
引っ越したいと思っていなくても、東京の街について新しい発見がこうして得られればちょっと足を運んでみたくなる。もしかしたらこのマンガを読んで好きな街を見つけて「思わず引っ越しちゃいましたー」なんて人が出てくるのではと予想しています。案外人はささいな情報をもとに大きな決断をするものですから。
アウトプットの雨に打たれろ『浦沢直樹展』
本題の前にちょっとマジメなことから入ります。
プロと素人の差は以前として残っている
インターネットで自由に作品を発表できるようになって、プロと素人の差について語られるとこが多くなりました。黎明期には両者の差がなくなってプロが食えなくなる、なんて声も聞いたけれどどうだろう。僕が見る限り、プロは以前としてプロでいるし素人は以前として素人のまま。
この2つを分かつのはなんだろうか。自分の中でひとつとても大きな要素としてあると思っているのが「覚悟」があるかということです。
アーティストは、社会のヒエラルキーの中では最下層に位置する存在である。その自覚がなければ、この世界ではやっていけない
この業界では、二十四時間寝られないといった状況は苦しみのうちにも入りません。(『想像力なき日本』)
なんてことカイカイキキの村上隆さんは言っているわけですが、やっぱり人に認められるようなものを創造する立場にいるプロはこれぐらいの覚悟がなければやっていけないのでしょう。文章を読むのも書くのも比較的好きな僕は小さくプロを望みつつも素人の座に甘んじています。
そんな僕が思わず感化されてしまった展示会があります。観覧後には「自分もすぐに書かなければならない。書き続けなければならない」と焦りました。
『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』に行ってきた
その展示会というのは2016年1月16日から開催されている『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』です。
この展示会はタイトルの通り、浦沢直樹さんが描いて描いて描きまくってきたインクの軌跡が見られるようになっています。会場内が写真禁止だったのがおしい。(一部撮影ポイントあり)ほんとに圧倒されました。
浦沢さんはこの展示会についてこのように語っています。
漫画っていうのは、本来どのくらいの大きさの原稿に、どのくらいの密度で描かれ、みなさんがよんでいる単行本は、実はこれだけの物量の原稿でできているんだよっていうことを見せたいんです。体感として味わってもらって、漫画のすごみを感じてほしい (『漫画BRUTUS』)
展示内容は大きくわけて2つの軌跡が感じられる構成になっています。
1. マンガが出版されるまでの軌跡
ひとつはマンガが出版されるまでの軌跡。会場に入場するとまず展示されているのは『BILLY BAT』の1話の原画。続いて壁に貼られていたのは、現在出版されている人気作品5作品程度の単行本1冊分の原画たち。ずらーっと並んだ紙の列は圧巻です。
浦沢さんが描いている紙のサイズはB4。読者が読んでいる単行本はその4分の1なので、この大きさの差にも圧倒されます。
加えて印刷用にスキャンすると消えてしまうホワイト(修正液)の跡や薄いペンで書かれたアシスタントへ指示なんかも詳細に見て取れます。5秒で通りすぎてしまう1ページにマンガ家の方々はこんなにも労力を割いているか。もっときちんと見ないとダメだと反省しました。
(展示会内唯一の撮影スポット)
2. マンガ家・浦沢直樹の軌跡
もうひとつの軌跡は、浦沢さんがいまの地位を確立するまでの軌跡です。単行本の展示の後に飾られているのは、幼少期に浦沢さんが描いたマンガの数々。
小学校のときに描いたという『トップ』というマンガはすでに絵が下手な僕の画力を圧倒していたし、高校で芥川龍之介の『羅生門』や星新一の『来訪者』をマンガ化しています。『巨人の星』のような絵のマンガを描いていたり、鳥山明さんのような絵、「サイボーグ009」のようなマンガ、と有名どころの絵を真似してひたすらに描いていた様子も伺えます。
また、思わず笑ってしまった展示もありました。小学校入学時に描いた絵に添えられた説明には「みんなのレベルに合わせて下手に描いた」とか、「先生に絶対無理と言われたから意地でも木の絵本を作った」少しひねくれていたんですかね。
振り返ってみると展示会全体を通して訴えかけられたのは、圧倒的なアウトプットの量。
デビューから33年間、一度も連載を休んでいない。休んでしまったら、この大変な毎日に、二度と戻りたくなくなるから (『美術手帖』2016年2月)
と語る浦沢さんのアウトプットへの執着心が体感できます。何かしらつくることに興味があるのなら、この展示会に行って圧倒的なアウトプットの雨に打たれた方がいい。その日から行動が変わってしまうから。
第19回 メディア芸術祭受賞作品展に行ってきました
2月3日から開催されている第19回文化庁メディア芸術祭に行ってきました。簡単なレポートです。
文化庁メディア芸術祭ってなに?
文化庁メディア芸術祭は、アート・エンターテイメント・アニメ・マンガの4部門それぞれの優れた作品を掲示している展示会です。
いきなり目に入ったのがソースコード!?
展示会場に足を踏み入れてまず驚いたのは、最初に目に入る展示物がソースコード!文字がプリントされた紙が額縁に収まっているのはなかなか様になっています。
これはアート部門で大賞をとった作品でとてもシンプルなコードで黒から白に50段階のグラデーションを描くというもの。
マンガ部門コーナーはマンガ好きがよだれを垂らす
マンガ部門のコーナーには、各受賞作のネームや原画がおいてありました。
全体はこんな感じ。
マンガ部門の真ん中には受賞作品すべてが読めるようになっています。昨年訪れた際にはなかった試みです。同人誌の受賞作もあるのでここでしか読めない作品も。
今回の受賞作家の中では東村アキコさんと志村貴子さんのファンなので、彼女たちのネームや原画をまじまじと見れて感動。特に志村さんのあの淡い繊細な絵のタッチは印刷されたものとは全く違う質感です。
東村アキコさん『かくかくしかじか』
志村貴子さん『淡島百景』
マンガ家の方々の作業机を見ると、やはりそれぞれの性格が出ていますね。
僕らはマンガ雑誌や単行本としてキレイにまとめられて量産された結果のものしか目にしていませんが、大学ノートに描かれた雑な手書きの文字や印刷には載らない薄いペンで入ったアシスタントへの指示などをこうして見ると、普段手にしているマンガの制作過程における苦労を体感できて作品をよりじっくり味わえるような気がします。この感覚は写真では伝わらないのでぜひ足を運ぶことをオススメします。
その他で印象に残ったものも紹介していきます。
裏の目立たないところにあったのがこの『2.5次元マスク』。誰でもない誰かになれるという作品です。
マスクだけ並んでいるのを見ると異様な光景ですが、実際に人がつけると意外とフィットしていて日常に溶け込んでいるのが不思議です。
会場内を歩いていて思わず足を止めてしまったのが『Solar Pink Pong』。足元に照らされているライトが、歩く人を感知してピンポン球のように跳ねるんです。
観察してたら、だいたいみんなここで止まっていました。
最後に紹介するのは『Rhizome』というアニメーション作品です。圧倒的な細かさで描かれた小さな生き物のようなものの集合体が蠢いています。作者によるとドゥルーズとガタリという哲学の偉人の概念からこの作品の創作に至ったようです。
RHIZOME - Bande Annonce from Boris Labbé on Vimeo
メディア芸術祭に行ってきました。高速道路の様子を見てて飽きないようにこの動画もずっと見てられる。#メディア芸術祭 #動画 #中毒性
ぼーっと見ていたい映像。
ほんの一部の目に止まった作品の紹介をしてみましたが、他にも興味深いものがたくさんありました。もともとあまり興味のなかった作品やここに来なければ知りえなかった作品に出会えるのは展示会の醍醐味ですね。
メディア芸術祭開催概要
会期 : 2016年2月3日(水)~2月14日(日)
会場 : 国立新美術館、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ、スーパー・デラックス、セルバンテス文化センター東京
入場料 : 無料
部屋にあったら絶対モテるものを紹介します(盆栽)
なにこれ、欲しい!と思ったものを見つけました。
『Air Bonsai』それは日本古来の美を現代に蘇らせた類まれなる代物
「Kickstarter」で資金募集中の「Air Bonsai」。その名の通り空中に浮く盆栽です。名前はダサいですが、見た目はめちゃくちゃカッコいい。こんなの部屋にあったらきっとモテる。
キャー、なんで浮いちゃうのー!カッコいいー!!
植物を植える鉢のような「energy base」と植物を入れる「little star」を組み合わせると盆栽が浮くという仕組みになっています。なぜ盆栽を浮かそうと思ったのか、どうやってその発想が生まれたのかが気になります。
Kickstarterでの支援期間は2016年3月1日まで。
◯Air Bonsai | Create your "little star" by Hoshinchu Air Bonsai Garden — Kickstarter
盆栽って魅力的
なんか盆栽って魅力的じゃないですか?
「盆栽は歳をとってから魅力を感じとれるようになる」みたいなことが言われていますが、僕はもう10代の頃から盆栽に惹かれていました。
インテリアとして室内に置く観葉植物としてメジャーなのは、サボテン。でもあいつトゲトゲしてんじゃん。なでてかわいがったり、頬ずりしたりできないじゃん。そんなの室内に置いてももどかしいじゃないですか。近くにいるのに想いを告げられない、高校生男女、『とらドラ』かっての。
一方盆栽はというと、全くトゲトゲしてないから触り放題、頬ずりし放題。あーかわいがりたい。
植物ってずっと見た目が変わらないように見せかけて少しずつ変わる。特に盆栽の変化は毎日微々たるもの。そういう変化を見つけられるとなんか楽しいと思うんですよね。
好きな女の子がちょっとだけ髪を切っていて、周りはそれに気づいていない。でも自分だけ気づいている優越感。「あいつまたかわいくなったな」と遠目に見ながらつぶやく感じね。そういう嬉しさがあると思います。
他にも盆栽に魅力を感じている人はいるようで、盆栽関連でこんなアプリもあるようです。
『つい、盆栽』はスマホで盆栽を育てられるアプリ。
たしかに毎日眺めている変化はするでしょうが、それはあくまで数値で制御されたデジタルな変化。本物の盆栽には全くおよびません。やっぱり、生きている盆栽が圧倒的にいいよね。
『Air Bonsai』はまだ買えないので、探したら偶然見つけた『苔庭キット』で我慢しようかな。(めっちゃキレイじゃない?)
もはやホラー?世界感がクセになる猫エッセイマンガ『伊藤潤二のよん&むー』― 伊藤潤二
こんな猫マンガ読んだことない。
ホラーで有名な伊藤潤二の猫エッセイマンガ
伊藤潤二さんというと、ホラーマンガが有名です。『うずまき』 とか。今回ご紹介するマンガはというと、作者の結婚を機に妻が飼っていた猫と新しい猫を新居で飼い始めるという、いかにもほのぼのしたストーリーになっています。
これだけの説明だと、どっかで読んだものと似ている気がします。たとえば、以前ご紹介した猫マンガとして『ワカコ酒』 の作者・新久千映さんの『新久千映のねこびたし』 があります。こちらは猫を溺愛する作者が拾った猫を飼い始めて、ひたすら愛でるという内容です。
○ただねこのいる生活がおもしろい。ねこ好き歓喜のねこエッセイマンガー『ねこびたし』新久千映
猫はただいるだけでおもしろいコンテンツに
猫をはじめとするペットは、人間が思いつかないようなことを突然するので、その行動をちゃんと描くだけでもおもしろいコンテンツになってしまうんですよね。だから世の中には動物を描いたコンテンツはたくさんあります。
猫エッセイマンガはありきたりとも言えるような内容なのに、なぜ本作が他にはない魅力があるのか。その理由は、作者の絵にあります。伊藤潤二さんの絵が醸し出す世界観が、この作品を普通ならざるものに変えているんです。
たとえば冒頭のシーン。
これですよ。
これ。
言ってることは合コンに出現するゆるふわ女子と同じなのに、顔怖すぎ。
夜に出会ったらションベンちびるレベル。なぜかこのマンガでは作者の妻はほぼすべて白目を剥いています。(妻公認らしい) 全体的に明らかにホラーテイストなんですよ。
展開としても稲川淳二の「あれ、なーんか変だなー。怖いな〜怖いな〜」的なくだりがありますが、その後にはこの溺愛っぷり。
この絵のタッチだと、手足をもいでほんとに食べそう...。猫好きすぎでしょ。作品の冒頭では犬派って言ってたのに。
絵のテイストと内容にギャップがあっておもしろい、おすすめのマンガです。伊藤さんのように猫好きではない人も、このマンガで猫が好きになってしまうかもしれません。
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○ただねこのいる生活がおもしろい。ねこ好き歓喜のねこエッセイマンガー『ねこびたし』新久千映