なぜかわからないけれど、好きなブログってありませんか?
先日、こんな記事を読みました。
最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記
批判、賛同をしたいわけではないので流し読みしかしていません。
なんとなく僕が読み取ったメッセージは
「ネットで意見を書く際に、多くの人から見られていることを意識せざるをえなくなった結果、不自由さを感じているのではないか。そんなの気にしないで自由になれないかな」というようなものです。
もちろんSNSなどの存在によって尖っている自分の意見を言いづらくなったというのもあると思いますが、「ブログを書くからにはたくさんの人に読まれなきゃ」という強迫観念みたいなものも若干あるのではないでしょうか。役立つ記事とか、おもしろい記事を書かなければならないと思っているのだとしたら、決してそんなことはない。
なぜかわからないけど好きなブログってありませんか?
もちろん、「ブログで飯を食う」、あるいは「たくさんの人に読んでほしいからブログを書いている」という人は基本的には役立つ記事やおもしろい記事を書くべき。多くの人はそれを求めています。けれど、僕がいろんな人のブログを読んでいると、どうも上の2つ、つまり「役立つ記事」「おもしろい記事」にあてはまらないものが読みたくなることがある。
たとえば、日記のような記事。すごく個人的な内容で、自分とは関係ない出来事について書いてある。別に役立つわけでも、特別おもしろいわけでもない。でもなぜだか「この人のブログ好き」と思えるようになってくる。
単なる日記でもファンがつくことはある
ここで先日読んだ糸井重里さんの対談集『経験を盗め (文化を楽しむ編)』から引用します。下記のラフィンさんは平安・鎌倉日記文学を研究されているコロンビア大学助教授の方です。
糸井:今現在の他人の日記を読むと、知らないうちにその人の人生と自分の人生が隣り合わせみたいになっちゃいますね。
ラフィン:読者としてそういう日記を読み続けていると、自分からもメールを出したり、何らかの形で関わりたいと思うこともあるようです。
昔は和歌の交換によって愛が芽生えるというか感情が生まれたわけですね。今は、その人のウェブ日記を見ながら、「この人がいい!」と思って、そこから何かが始まることもあるかもしれない。(p.176 『誰がために日記はある』より)
つまり、誰に向けたものかもわからないような日記であっても、ファンになることってあるよね、ということです。 ブログの収益を最大化しなければならないような場合を除いて、記事を書いている時に「多くの人に読まれる記事を書かなければならない」と思った時は力を抜きましょう。
あなたのブログの読者が求めているのは、役立つ情報やおもしろい出来事ではなく、あなたが発している言葉かもしれません。そうだった場合、もはや内容は関係ありません。力まずに書くだけで、読者の方々は喜んで読んでくれるはず。
僕のブログも定期的に読んでくださる人がいますが、なぜ読んでくれているのか気になります。もしよければ教えてください。
引用した本『経験を盗め』はこちらです。
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